勘違いしている人のなんと多いことか。「桜を見る会」を巡り、もっと他の大事な政策課題がある、とか下らない論争している場合ではないとか、だから野党は駄目なんだとか。今の野党を支持しているのではない。野党が目指すのはいつの時代でも政権奪取である。
政権の中枢を握って動かすことが「政党」の最優先課題である。そのためなら、テーマは何でも良いのである。強い野党など、存在するわけがない。弱いから野党なのである。野党はいつの時代でも、等しくだらしなく映る。それが宿命である。強い政党は与党である。与党になりたくて政党基盤を拡大しているのだ。
野党は批判ばかりしている、との非難も昔から根強いが、これも根本から間違っている。政権中枢にいない、多数派ではない政党が、議会政治の枠組みの中で可能な行動は、多数派の政権にすり寄るか、選挙に勝って同志を最も多く集めること以外に、時の政権の不合理や失策を批判するしかないのである。だから批判勢力という。一種のチェック機能なのだ。批判を批判されたら、野党は立つ瀬がない。
しかし、ヤジを飛ばす首相も憲政史上、稀有ではないか。コップの水をぶっかけたり、「テレビカメラはどこだ?」と新聞記者を会見室から排除させたり、「私は(記者を指して)あなたとは違う」とのたまった首相もいるにはいた。質問している立憲民主党の議員に「共産党」と口走ったのには驚きを通り越した。過去に「日教組」と野次ったのと同じレベルである。
ボサボサ頭の英国首相、エキセントリックな米国大統領。品性下劣な人間ほど「政治屋」を目指す時代になった。20数年前、衆院・金融委員会の委員長に取材したことがある。当時は自民党の中堅、のちに大臣を務めたが舌禍を起こして辞任したが、実直な物言いで好感が持てた。社会党の議員で松下電器の労組役員だった人にも会った。大した人物とは思わなかったが、アポなしで入ってきた一介の記者に短時間でも礼儀良く対応してくれた。
政党に関わらず、人間としての矜持があった。国会が呼べば、いつでも説明すると言いながら記者との立ち話の回数を増やしてポーズだけは整え、国会で多数を占める与党が国会に召喚して発言を求めないのを見越していた総理。これだけ人を愚弄しておきながら、世論調査をしてみると、「なんとなく人柄が良さそうだから」などの理由が上位に来ている。だいたい、自らの名を冠した政策名を自分の口から発する神経が理解できない。レーガン自身はレーガノミクス、と言っていたか?