近ごろは、監視カメラやスマホで撮影した映像がテレビのニュース報道でも堂々と使われている。なかには特別のコーナーを設けているところが少なくない。テレビ報道は既に足で稼ぐことを放棄している。このままの状態が続けば、将来は絶望である。
1990年代、都市銀行の広報担当者に「テレビ局ならいつでも紹介しますよ」と勧められたことがある。業界紙記者10年のキャリアだったが、褒め言葉、外交辞令と受け止めた。しかし再三のことなので、改めて聞いたら、レベルが低い世界なのだという。就職難関の世界でそんなことはあり得ないと思ったが、今から思えば真実だったのかと思ってしまう。
ドッキリ映像とか何とか言っても、井戸に潜って出てこられなくなった中国の子供の救出劇やロス郊外でのカーチェイスなど、どれもワンパターンである。はじめに動画ありきで、コメントをあとでつけただけである。こんな代物を特ダネ映像と呼ぶのだから、テレビ局報道の矜持も何もあったものではない。というよりも、もともとプライドなどなく、なければ「やらせ」で埋めていくのがレッキとした手段として常態化しているのだ。
つまりスマホの動画にSNSのコメントをくっつけただけのものをニュースとしてたれ流しているのである。怒りを通り越してもの悲しくなる。
一方、いまどきの人々は、なにか批判がましいことを発言すると、忌避したがる傾向がとても強い。彼らにとって最大の敵は、批判精神の旺盛な(この程度は普通と思うけれども)メディアに向けられる。そしてそれらを総称してマスゴミと蔑称する。それもまた批評だから、その蔑視行為自体は否定しないが、彼らは批判行為を体制に盾突くと受け取り、排外しようとするように見える。
こういう人々は、マスメディアが本質的に批判勢力であり、そのことが存在証明であることを知らないか忘れている。マスゴミなどと言って差し支えないのは、前述した「スマホ動画+SNSコメント」でニュースを拵える向きに対してである。それでいて彼らは、そんなものを「面白すぎる」「楽しみしかない」と、杉鹿コトバを使って称賛している。ゴミがゴミを笑っている。