久しぶりに秀逸なダジャレを聞いた。ひとつは、日本女子オープンゴルフ。初日4位につけた原英莉花は、「お腹が痛くてプレーできるかどうか不安だった」と話しながら、健闘した。サンスポは10月2日、この記事を「腹痛の精神」と見出しを付けて配信。見事だった。
もうひとつは10月3日の日刊ゲンダイ。哲学者・適菜収は「女性はいくらでもウソをつく」の話題に触れて「水脈切る改革」と揶揄した。ダジャレは説明すると、その瞬間消えてなくなる。真意が伝わらない人は永遠に無視するしか手立てはない。
前置きが長くなった(本当はこのことだけを言いたかったのだが、本題はすぐに終わりそうなので)。
日本学術会議のことである。まあなんとケツの穴の小さいことか。叩き上げだけに、言うことがみみっちくなるのか。
報道によれば、学術会議の年間予算は210人の構成員に対して10億円。1人当たり500万円である。どんな会議をしてどんな成果物があるのか、他の国民同様、小生も知らない。知らないが、議長(委員長?)はノーベル賞受賞者の東大の教授である。学者の集まりということは想像に難くない。
国の方針に対して異なる見解を公開したり意見表明したりすることがあっても、大きな心で許容しておけばいいではないか。こういう時に必ず起きるのが「国の税金を使っている」との主張である。学問も金がかかるのである。1人当たり500万円程度のカネをどう使おうが勝手だろう。ノーベル賞を取った時には、下にも置かない態度でもろ手を挙げて称賛するのに、国に異を唱えた途端に、一本釣りで排除する。了見の狭いこと。叩き上げは、やはり、かいた汗の量だけが絶対的評価の尺度なのだ。
この際、学術会議のあり方を討論しようという議論もある。何十年も前に決めた選考方法はいまの時代に通用しないとの指摘もある。それをいうなら、人事のことは基本的に説明はなし、という見解も、情報開示の現代では通用しない。