ここまで下心がミエミエだと人間を疑ってしまうのが常ではないか。数年前、モリカケ問題の国会質疑でソーリ擁護のヨイショ発言した過去を持ち出すまでもない。五輪新会長に対して「お支え申し上げますっ」と力み返った。夫婦別姓問題では、地方議会への反対声明に名を連ねながら自分は旧姓を名乗る本末転倒。いやはや付ける薬がない。
とにかく女性の数が足りない。四の五の言わずに女性ならば可というのは、男女平等でもなんでもない。目標を上塗りし表面を装った形式主義に過ぎない。意義のある事業や催事を開催するために相応のスタッフを揃える。五輪はすべての競技で男女の開催がようやく叶えられた。そのことは意義のあることだ。男女の区別差別なく優劣を付けず選手が存分に活躍できる場ができれば良い。そうした五輪にしたいために組織委員会の男女の理事数比率を同じにすることもまあ、良いだろう。五輪の大臣まで女性を起用することの是非は置いていておくとしても、男であれ女であれ、その人と「なり」は考えなくていいのか。
この人は、巷間指摘されているように、いろいろと問題発言や行動が多い。エキセントリックで芝居がかっている。夫婦別姓問題に対するアプローチはその典型だ。別姓を名乗っている人が別姓に反対している。しかも地方自治をないがしろにする愚まで犯している。
昔、会社勤務のころ、労使問題で会社が女性の弁護士を雇って交渉に介入させてきた。東大卒でやり手との評判だったが、一が万事、組合嫌悪むき出しで手が付けられないほどのヒステリーを演じていた。食えない弁護士時代、あまりやりたがらない労使紛争に食い込んでも食べていこうとの気概は認めるが、その奇態に面食らい、かえって憐憫の情を禁じえなかった記憶がある。
この人も、そこまで権力におもねり、何をしたいのかが見えない。時の人にあやかり上昇することを願っているように見えるが、そのこと自体が目的になっていて、中身は何もないように見える。こういうのを自己目的的というのではないか。そうか、アベシンゾウがそうだだった。ソーリになりたい。ソーリになって何かをしたいというのは最後までなかった。類は友を呼ぶだ。