屁みたいな男

どこへ出しても恥ずかしい男である。頭が良いことを鼻にかけ、受けようとして必要以上のことを話したがる。俺の話を聞けっ。いつもそう考えている。言っていることはまともなのだが、相手に強い印象を与えたい願望が、強弁になるのである。

 

 

一度だけ、この男を取材したことがある。雑誌社の依頼で郵政民営化についてだった。提唱者だけに民主党がやった民営化の見直しをどうしても許すことができず、声高に熱弁をふるった。こちらが金融業界紙の出身とわかると、とたんに質問攻めにして困らせたい風だった。

 

要するに人柄が悪いのである。度が過ぎる発言の背景にはこれがある。性格の悪い人は、自覚していないことが多い。自分はむしろ好かれているのだとの自負が強く、そのことがまさに嫌われる主因というこに思いが至らない。アソータロー、アベシンゾーの類は皆そうである。

 

 

コロナ対応を他国と比較してもなんの意味もない。政権の犬だから五輪支持だろうが、コロナ対策が緩いと指摘しても、官邸は喜ばない。置かれている立場を理解できない頭でもないだろうに。

 

昔、サウナで財布を見つけ、上がった時に差し出す気でいたが、失敬した。それで捕まって落ち目になり、聞いたことがない大学の先生になっていることが、生涯の不満になっている。事件の背景に政権の陰謀があると騒いだりもしたが、橋下某に接近したりしてお茶を濁し、そして遂に時の政府に取り入ることに成功した。国家の陰謀と恨んだことはすっかり忘れた。この辺は植草先生が一枚上である。まあ、素性の悪さは、財布を失敬してもしなくても変わらなかっただろう。

 

黙っていられないだけに、また失言するが、それで世間が騒いだら、一定の成果を上げたとほくそ笑む顔がいまから想像できる。