自己愛

自分がいちばん好きである。顔にそう書いてある。この口から出る物言いはすべて正しく、論理的で誤りなどあろうはずがない。怪物といわれた高卒プロ野球投手は新人の年に「自信から確信に変わった」と名言を吐いたが、これに近い心境にいる。

 

あまり有名でない地方都市の市長に運よく当選し、判然としない「言動」が一部報道されたことがきっかけだったか。田舎の市議会で高齢の議員を前にした威勢のいい発言の真意はいつまで経っても理解できなかった。その唐突なコメントだけが先行していった感がある。地方マスコミを味方につけていた、と思っていたら真相はその逆だった。敵はロートル地方議員ではなくマスコミだった。

 

京大を出て都銀の行員になっただけでは並のエリートといったところだったが、前法相の逮捕という敵失を背にして望外の当選を果たしたところから勘違いが始まった。ヒーロー願望は日に日に募る。もったいぶって劣情を煽るが、それは中身がないことを自覚しているからに他ならない。

 

自らの発言を切り取られて憤慨しているが、チョコレートはどこから食べても甘い。全部食べなくてもその味は分かる。意に沿わない報道をされると怒るのは、その報道が痛いところを突いていて、的を射ているからなのは言うまでもない。

 

イシンだとかタチバナだとか、サイトーだとか、このところ汚らわしい種族がセイジの世界で跋扈しているが、のさばらせているのはもちろん国民(の一部?)である。どこをどう見てもまがい物で嘘くさく、誠実さに欠けている御仁の正体を見抜けない人が増えている。本人たちの登場よりも、むしろ彼らを評価する人が増えていることのほうが何十倍も恐ろしい。

 

いったい全体、彼らに共通するあの自信過剰は、どこから生まれてくるのだろうか。米国ではこの種族に分類される老人が国の中枢に返り咲く。狂気の時代である。