自家撞着

民主主義の根幹を揺るがしている人が負傷した。受けた傷に対して「民主主義の根幹を揺るがす事件」と非難した。自家撞着とは、まさにこのことである。選挙制度を愚弄しておいて、もう演説できないなどと弱音を吐いてみせ、同情を買おうとする。政治家を自認するならテロに屈しない、くらいの大言壮語を言ってほしい。

 

愚民を愚弄して増長させ、彼らを動員し敵対勢力の中から1人ずつ選んで標的にする。米国の親分同様の理論で出まかせを連発し、露見すればのうのうと撤回する。無視すれば勢いづき、ウソを重ねて煙幕を張る。この男は精神的に崩壊している。巷間伝えられる「人となり」もまた信用しづらく、憶測の材料すらないが、あえてそれを前提に想像すると、これまでの艱難辛苦に対する反発あるいは諦観ではないかと感じる。

 

不正経理を告発したのちに自身の不正経理で懲戒処分を受けて依願退職した。この間の経緯がNHKをぶっ潰す要因になっているのは間違いない。手柄を立てたが逆襲を受けた。内に秘めた私怨が後年スローガンとして昇華され、政界進出、結党と妄想が膨らんでいく。

 

政治信条や倫理観などは、そのときどきの都合でどうにでも変えれば良いと考えており、訴えるべき主張もまた行き当たりばったりを常とする。理想や最終ゴールなどは持たない主義だから、「何をしたいのですか」という質問が一番苦手で困る。

 

嘘つき呼ばわりされるのを最も嫌う、との指摘がある。この話はとても興味深い。確信犯的に虚偽を述べているはずなのに、なぜこの指摘を忌み嫌うのだろうか。噓で固めた詭弁にもかかわらず真実を簡潔に付かれると立腹する。嘘といわれると、そこで話は終わってしまう。会話にならない。それが辛いのだ。